第3回 しきだ博昭 政経FORUMでの「横田早紀江 氏」講演全文紹介

 去る6月17日(金)『第3回しきだ博昭政経FORUM』を開催し、第1部では、横田夫妻にご講演を戴きました。
 以下に、横田早紀江様講演内容につきまして全文ご紹介致します。


  Report No.100(2005/08/06)

『あの日から、今日まで』 横田 早紀江 氏

 皆様、こんばんは。今日は、敷田博昭さんの、このようなフォーラムにお呼び頂きまして、拉致問題をお聞きくださるために、たくさんお集まりくださったことを本当にありがたく思っております。今日は、この様な(右側)地図を、わざわざ印刷をしてくださいましたので、ちょっと、説明をさせていただきますが。本当に、めぐみのことは最初は、もちろん国内事件だと思っておりましたので、警察も含めて、本当に大捜索をしてくださいまして、私達も、どんなことも見逃すことなく、一生懸命、20年間、ちょっとでも、めぐみにのことじゃないかということは、全部一生懸命調べて、泣きながら苦しみながら探しつづけておりましたけども、本当に何一つ、一点の消息もありませんでした。
 けれども、52年11月15日という、この日は、本当に私の家を囲むこの界隈は、寂しいところなんですが、非常に不気味なことが2〜3起きておりました。それで、めぐみは最後にお友達と別れました、交差点の、ここで分かれたのが6時35分頃だったんですけれども、ちょうど30分前の6時頃に、こちらの空き地のほう、広い空き地があるんですけれども、空き地のこちらの海に近いところにお家がある、ところに住んでらっしゃる、お嬢様が、私の友人なんですけれども、その方のお嬢様が、ちょうど高等学校の女学生だったんです。その方が、ちょうど、学校から帰ってこられ、そして、めぐみはこの道をまっすぐ来たんですけれども、この空き地を通り越して、もう一つ向こうの通りを曲がって、ずーっと歩いてこられて、そちらのここらへんの真ん中で、ちょうど海の方から二人組の男性が歩いてきたんです。それで、彼女は帰ってこられて、それでその男性がこう、歩いてきて、すれ違った瞬間、非常に顔がものすごく「赤銅色」で、非常に11月15日だというのに、厚い物を着ていて、こわい目をした、忘れることが出来ない、一瞬凍り付くような感じで「怖い」と思って、すれ違ったんですけれども。それで、サッとすれ違って、逃げようと思ったけど、走ったらまた追っかけられるかもしれないと思って、足早にまっすぐに歩いていったらしいんですけど、ちょっと振り返った時に、すれ違ったはずの男性が、ピタッと自分の後ろにくっついて、ついてきてたってことに気が付いたんです。そして、全然足音がしないということは、ズック靴を履いていたというのを目撃しております。それで、びっくり仰天して、もし捕まったら、大声を出せば、あっち側に家がならんでますから、誰かが飛び出してくれるかもしれないし、テニス部だったもので、彼女はテニスのラケットを持っておりました、そのテニスラケットを振り回して、何かやらなきゃダメだなと思いながら、足早に行ったんですけれども、もう一度、振り返ったときには、二人は立ち止まって二人で、こんな風に話しをしていたっていうんで、飛んで帰ってお家に駆け込んだということがありました。非常に怖かったんで、お母さんに「気を付けなさい」、といって覚えていらしたわけです。
 そして、その日の正午頃は、ちょうど海のこちらの、もっとはじっこのほうにある、養護学校というんですか、障害児の方の学校がありまして、そちらに、めぐみの親友だった方のお母様が、ボランティアのためにいつもそこに通ってらっしゃいました。それで、午前中に終わって、そしてそこから帰ろうと思って、細い道を出てこられたんですけれども、その細い道のところにいつも止まっていないような車が止まっていたんです。それで、それにむかって歩いて、通り過ぎなければならない時に、何とも言えない不気味だなぁ、嫌だなぁ、って、なんか感なんですね、直感で嫌だなぁと思ったんですけれども。そのときに通り過ぎようとしたときに、車は、よく中からは見えるけど外からは見えない暗いガラスだったんで、中の人は見えなかったんですが、何とも言えない不気味だから、さーっと、はじっこの方に寄って、すり抜けようとした時に、突然中から手が出てきて、「おいで、おいで、おいで」って、この辺まで出てきて、おいでおいでってしたらしいんです。それでもう、飛び上がるほどびっくりして、「ぎゃー!!怖い!!」とやっぱり変だと思って、出てきた手の、背広の色はベージュだったっていうのは覚えているんですが、顔は絶対見えないで、手だけがこうして、こうしてこうして何度もやったんで、飛んで走ってそこをすり抜けて、お家に帰られた。それも、めぐみがいなくなった11月15日の正午過ぎでした。
 そして、さっきのお嬢様の事もありましたし、そして、私の家の自宅が書いてありますけど、私のお家は角から二軒目にあったんですが、その角のお家の二階に、今は女医になってらっしゃる、女子医学生の方が下宿をしてらっしゃいました。その方が、ちょうどあの日の夕方に、ちょうど曲がり角で姿が消えたこのあたりのところで、「きゃー」というような、女の人の悲鳴のような、女学生のふざけているような声にも聞こえたし、「助けて」というような一声だったような気がするっていう、その辺のところがはっきりしないのですが、びっくりして窓を開けて、そしてそちらの方をこうして見てくださったのですけれども、何にも、人の感じもなく、車の発進する音も無く、「なんだろう」と思って、しばらく見てたんだけれども、何にもないから「おかしいな」と思って、下のおばあちゃまに、「今、変な声を聴いたんですよ」と、「だけど、何にも音がしないけどなんだったんでしょう」って、いうことを言ってらして、それを聴いていたおばあちゃまがそのことを、めぐみが帰ってこないということがわかって、すぐに家に来てくださって、「うちの上の学生がこんな声を聴いたんですけども、まさかめぐみちゃんじゃなかったでしょうね?」ってことを、次の朝言いに来てくださった、ということがありました。
 そのような、三つのことがあって、私たちは経験してきた人たちといつも、何かあの辺で、誰かがいたに違いない。それは、誰かはわからないけど、何かが、うろうろしていたに違いないということは、ずっと20年間思い続けておりました。
 そして、曽我さんがお帰りになられまして、曽我さんがなかなか、お話しをなさらないんですけれども、少しずつめぐみとの生活を話してくださるようになりました時に、実は、私が連れて行れて(めぐみの、一年あとにつれて行かれたのですが)、はじめて向こうに連れて行かれて、あなたは今日からこの人と一緒に、勉強しなさいということで、めぐみのいた招待所というところに、曽我さんが連れてこられたということをおっしゃってました。そして、連れてこられた時に、非常に寂しい状況でしたので、めぐみちゃんも非常に喜んで「いらっしゃい」と優しい声で迎えてくれて、とっても嬉しかったとおっしゃてました。そして、ジュースを飲んだり、お菓子をいただいたりしながら、夜寝る時に、お布団をしいてるときに、曽我さんの足になんだか知りませんけど、ひどい傷があったそうです。めぐみは、それを見てびっくりして、「どうしたの、その傷?どうしたの?」って優しく聴いてくれたので、とっても嬉しくて私は思わず、めぐみちゃんにお話ししたんですよと、おっしゃいました。それで、私は、佐渡で、お母さんと歩いてる時に、突然4人組に襲われて、そして、ぐるぐる巻きにされて、船でお母さんと一緒に、ここへ連れてこられたんだけども、お母さんはいないのよって言ったんですっておっしゃってました。そしたら、めぐみちゃんが「あぁそうだったの。実は私も、角のところまで、学校からずっと歩いてきて、角のところまで来た時に、角で男性に捕まえられて、そして船に乗せられて、連れてこられたんです。怖かったよねぇ。本当に怖かったねぇ」とささやき合ったんです。という話しを、はじめてしてくださいました。
 そして、やはり私たちは、いつも言っていた友達と一緒に、おかしかったねぇと言っていたことが、やっぱりここで何かあったということが、誰かがあそこにいたんだっていうことを、確信したわけです。そのように、蓮池さんもアベックで連れていかれましたけども、あの方々も、連れて行かれて、何で私たちが朝起きたらこんなところにいるんだろう、恐ろしい、何でこんなところにいるんだろうって、本当に恐ろしくて悲しくてたまらなかったけれども、必ず日本から誰かが助けに来てくれるに違いないと、一生懸命に毎日毎日待っていましたと、帰って来てからおっしゃっていました。何年待っても誰も助けに来てくれなかった。3年経っても誰も助けにきてくれなかったので、私達はもうあきらめて180度心を転換して、「北朝鮮人として生きていくしかないんだねっていって北朝鮮人として生きてきたんです。」とおっしゃってました。いつも、お月様を見たり、お星様を見ながら、「日本でもこうして父や母や兄妹やお友達がこうして、みんなこのお月様を見ているんだろうね」って、僕たちもこれを見られるのに、何で帰れないんだろうねって悲しい思いをして暮らしてきたんですとおっしゃってました。地村さんも曽我さんもみんなそうして、襲われて、手錠をかけられて、そして目隠しをされ、ぐるぐる巻きにされて、袋に詰められて、そしてゴムボートで、高速艇へ運ばれて、そしてそこに乗り移らされてから、大型船に乗せられて、連れて行かれたんです。
 めぐみちゃんは、本当に一人でしたから、小さかったし、どんなに怖くて、悲しくて、船の中で泣き叫んでいたかわからない。もう、絶叫して泣いていたと思います。それで、あまりうるさいんで、もう、このうるさいのは船の底に入れろ、っていうことで、船の底に放り込まれて、そして船の中で、「お母さん助けて、助けて」と叫び続けて、40時間も日本海を漂って、あちらまで連れて行かれたと、本に書かれていましたけれど。向こうに着いた時は、めぐみの爪ははがれそうになって、壁やドアをひっかいて、逃げようとしたのでしょう、もう血だらけだったと書かれてありました。
 このような、本当に残酷なことが、拉致なんです。そして、有本恵子さんなどは、ヨーロッパ経由でうまいこと言われて、よど号の妻に誘われて、向こうに連れて行かれたというケースもあります。
 まさか、私達は、北朝鮮という国家犯罪として、指令をもって、拉致をせよと、いわれて色々な工作員が日本の国の中を色々と物色をして、今度はあれだ、今度はあれだって決めていたかもしれません。突然、襲ったかもしれません。それは、わかりませんが、ものすごいたくさんの日本人が、一生懸命育てた子どもたちが、何の罪も無いのに、突然襲われて、そしてあちらの国で監禁されて、めぐみの場合は28年間、13歳からもう40歳になっています。わたしが、あの子を失った歳です。40歳の時にあの子はいなくなりましたが、その間、ほんとうに誰とも交信をもつこともできないで、お月様を見て、そして曽我さんとは、お布団に入りながら小さな声で、日本の「埴生の宿」や、「おぼろ月夜」といった唱歌を歌いながら、泣いていたと言っておりました。ほんとうに、そのような残酷なことをされながら、日本の人たちは、警察も政府も一部知ってた人があるに違いない。そして、船が入ってきた時は、無線を打ってるはずですから、そういうものをちゃんと傍受していたに違いない、けれども、それを今でも、わたしたちにめぐみが拉致をされたんですということを、認定するようなことは何も証拠を、私達にまだ警察は示してくださっておりません。まだ、出せないのでしょうか。本当に、拉致という問題が、どんなに長い間、いろんな方々が北朝鮮に行かれて、野中さんもそうでした、金丸さんもそうでした、土井たか子さんやいろんな方が、何度も何度も北朝鮮に行かれたのに、この拉致問題は、本当に闇の中に葬られたままで、いろんな私利私欲の中で、その方々が、何をどうしてきたのかはわかりませんけども、本当に大切な命がないがしろにされて、こんなに長い間、今はもう400名にものぼる人たちが、私たちの子どももここにいるんじゃないでしょうかと、特定失踪者のほうに、調査を求めておられますけども、こんなに恐ろしいことが、この長い間放置されてきた、日本の国家というのはいったい何だったんでしょうか。
 私たちは、この救出活動、9年目に入りました、一生懸命に全県、あと3県を残す、ほとんどの県をこうした拉致の問題をお話しさせていただいて、伺ってまいりました。そして、多くの方に、ようやくこの実態をわかっていただくようになって、ようやく政府が少しづつ重い腰を上げ、そして日朝交渉のなかで、小泉さんがああいうふうにして初めて、拉致ということを向こうが認めるところまで来まして、そこではじめて、皆さんが本当だったんだね、ってわかってくださるようになったわけです。
 けれども、本当にこの、拉致問題ということが、日本にとって残酷で恐ろしいことであったか、そして一生懸命にこうして動いた中で、とうとうあちらは、骨を出してきましたけれども、その骨がめぐみのものでなかったということを、鑑定してくださったということは、私たちにとってもこんなに大きな幸せはありませんでした。さっきも主人が申しましたように、これが、鑑定不能であった場合、今頃はもう、めぐみちゃんたちは、みんなもう死んだものとされて、この問題は気の毒だったねということで、終わっていたであろうと、本当に身震いする思いです。本当にこのようなことが、いつまでこうして放置されていくんでしょうか。あと、またこれがこのままで、ないがしろにされた場合に、本当に日本の国はこんな大事な国民の、しかも、若い者が、罪のない者が、こんなたくさんの人が、国家犯罪として連れて行かれて、向こうが認めているのに、ニセの骨が出てきていても、政府は怒りもしない。「対話と圧力ですね。」と小泉さんは、静かに言ってこうやって去って行かれます。普通だったら、ご自分のお子様が、こうだったらば、隣の人がそのようなことをしたんだったならば、親だったら飛んでいってその家に行って、ドアを蹴破って窓を壊してでも、飛び込んで、やった人の首を絞めてでも、「いい加減にしなさい」と怒るのが本当ではないでしょうか。国家の一番の長である、父親である小泉さんが、国家の犯罪としてこれだけ多くの大切な若者たちを、無惨に連れ去られて、しかも長年の間放置しておいて、そして、これがあなたの子どもの骨ですよと、堂々と返してくるような、そのような国に対して、それが、骨がニセ物であったとわかった段階で、小泉さんだけでなくて、これだけ国家の為に、国のために国民のために、私が立候補いたしましたと、手を挙げて、国会に並んでいらっしゃる、あれだけのたくさんの政府の国会議員の方々が、全員が怒って、総立ちになって怒るのが本当の国の姿なのではないのではないでしょうか?こんなことが、許せるかと、みんなが怒って、制裁だ!!と、はっきりと国家の姿勢を示すのが、日本の国のあり方なのではないかと、私たちは本当に今、いらいらとしております。
 それでもなお、小泉さんは、まだ、対話ですとおっしゃられます。北朝鮮に対して、話してもわからないような国に対して、対話とおっしゃられるなら、切実に私たちが、「小泉さん、聞いて下さい、親の気持ちを聞いて下さい、会って下さい」と言っている家族と対話をもって下さらないということが不思議でなりません。何か間違っているのはないかと、私たちは本当に悲しい思いでいっぱいなんです。もう涙が出る暇もないほど怒っています。
この度、6月24日から26日までの3日間、本来ならば、皆さんお年を召してますから、そのような方たちを、総動して、そして、官邸の近くで座り込みなど本来ならばしたくありません。もっと警察も官邸も外務省も国民も拉致家族の被害者の家族も心を一つにして、情報を、このような情報を帰ってきた人は言いました。あなたたちは何を聞きましたか?警察はこれだけのことを聞きました。家族はどれだけ聞きましたか?政府はこれだけ聞きました。じゃあ、これを整合して全部併せてどこが本当かを考えながら、あちらに交渉するようにいたしましょうと、本気になって、打開策を考えて下さるのが、日本の国の姿ではないんでしょうかと私たちは思っています。いつもなんにも言わない、何を調べて下さっているかわからない、外務省がほんとに、どこまで本気で政府が動いて下さっているのかも分からない、ただ私たち家族は毎日毎日本当にお月様を見ながら、あちらも見ているだろうなと思いながら、「助けてー」って言っている声がきこえてくる思いで、待ち続けているんです。このようなことがこのままで放置された場合、他国はなんと思うでしょうか?こんなにたくさんの若者達が、こんな目に遭っていても、日本政府はのんびりとしているねえ、もうこれだったら、何をやってもなんにも言わないでしょう、もっとこう言いましょう、ああ言いましょう、っていう形で、いろいろなことを言ってくるような気がいたします。
 私たちの子供たちが、可哀想でなりません。本当に無駄な人生を歩ませてしまったと、本当に身代わりになってあげたい、私が行って、代わってあげることが出来たら、もう、代わってあげたいんです。みんなそう思って活動しています。だから皆様方にもう2度とこんな目に遭って頂きたくない、この地図にある界隈を思うだけで、私たちは本当に凍りつくような思いです。ここに行きたくないんです。海も見たくない、雪も見たくない、桜の花も見たくない、あんなに美しい物を見ても、凍りつく思いなんです。そのような残酷な毎日を28年間過ごして参りました。そして、増元さんのお父様は、るみ子さんを待っていたのに、とうとう、るみ子さんに会えないで亡くなっていかれました。そしてそれでも照明さんに、おれは日本を信じる、だからお前も日本を信じろと、か細い声でその言葉を残して去っていかれました。この言葉は、日本の国民全部が期待して政府に思っている言葉です。わたしたちもそれを信じて、政府に頼ってきました。本当に政府はこの言葉をしっかりと受け止めて頂いているんでしょうか?信じることが出来るんでしょうか?私たちも信じたい、そしてあなたも信じて下さいと言いたいんです。
 けれどもこんなに大変な問題が400名近い人たちがまだ、北朝鮮かもしれないと嘆き、苦しんでいるのに、まだこんなに、はっきりとした対応を示さない日本の国家というものの姿は異常としか、私は思えません。北朝鮮は今も国際的に包囲されているような形でいろいろなものが、悪のやり方が全部暴露されておりますから、ほとんどの国が、北朝鮮という国がどんなに異常で、恐ろしい国であるかということも分かっておりますから、もういい加減なことは出来ないはずなんです。本気になって、みんなが怒って、「大切な命を返しなさい」と、はっきりということによって、北朝鮮、あなた方も本当の平和を勝ち取ることが出来るんですよ、ということを良い意味で、メッセージをしてゆく必要がある時にきていると、思っています。
 本当にもうこれ以上、日本政府が馬鹿にされないように、そして、向こうにいる人たちの28年もの長い苦労、今も監禁をされて、盗聴器や、隠しカメラを付けられて、どこに行くにも、目を光らせてみんなに見つめられながら、なんにも出来ない。めぐみはいつも泣いていたと、蓮池さんは言ってました。「帰りたい、帰りたい、お父さんお母さんに会いたい」そして弟の横田徹也、拓也という文字をよくノートに書いていたと言っていました。そんなにして今も待ち望んで帰る日を指折り数えて待っている人たちがいっぱいいるんです、どんなことがあってもあの子たちの、たくさんの日本の若者たちのこの無駄な人生が、無駄にならないように、この苦労が、何らかの形で日本にとって、また、北朝鮮にとっても、本当に良い方向に解決されていかなければ、子供たちの人生はいったい何だったんでしょうか。また亡くなっていった親御さんの悲しさは何だったんでしょうか。
 だんだん歳をとったお父さん、お母さんが増えてきました。私たちも例外ではありません。いつどうなるか分かりません、必ず元気な間に、一目、たった一回でもいいから、めぐみちゃんと会いたいんです。何とかして罪のない子どもたちを無事に帰していただけるように全国民が一つの心になって、動いていただきたいと思っています。
 強制収容所にいた、姜哲煥(カン・チョルファン)さんという方が向こうの強制収容所の恐ろしさを語っていましたけれど、その方が亡命してきて今はその事を世界中に知って欲しいと訴えていますが、先日のテレビや新聞の情報では、その方が書かれた本を、ブッシュさんが読まれて、そしてぜひ、姜哲煥(カン・チョルファン)さんに会いたいと、面会を申し込まれて、そして40分間の面会をなさり、強制収容所のいろいろな恐ろしいことを、はっきりと、経験を話されたと、報道されています。
 アメリカも本気になっていると思います。日本の政府は、我が国の若者たちを助けるために、本当に動かなければどうするんでしょうか?何でこんなにのんびりといつまでも忍耐強くと忍耐強くとおっしゃるんでしょうか。もう忍耐の限界がきています。必ず今年中に何らかの動きが、国際的にもあるように、私たちは本当に毎日祈っています。
 多くのクリスチャンが祈ってくれています。私も神を信じるものであります。人間の力では及ばない事をなさる方に確信して、願ったことは必ず成就しているとおっしゃっている方に、私は委ねて、祈っています。本当に祈りの中で、このことが、良い方向に解決していくことが出来るように、どうか皆様も現実的にいろんな意味でご支援をいただきますように、私たちを、力づけて頂けるように、そして子供たちを一刻も早く、あの国から、自由のこの日本に取り返していただくことが出来ますように、どうぞご協力下さいますように、よろしくお願いいたします。
 どうもありがとうございました



--- copyright 2005- hiroaki shikida ---
hiro@shikida-hiroaki.com