みなさまこんばんは。
現在、私は川崎市に住んでおります。神奈川県に住むようになって15年くらい経ちますが、まだその当時はめぐみは国内事件と思われておりまして北朝鮮による拉致ということがわかりましたのは、平成9年の1月の下旬に参議院議員の橋本敦議員の秘書の兵本さんという方から、お宅のお嬢さんは北朝鮮の工作員に拉致されて平壌にいるらしいという情報が入りましたという連絡をいただきました。
めぐみのことは新潟県警始まって以来というほどの大捜索にも関わらず、めぐみはもちろん遺留品というものも見つかりませんし、情報も何も入りませんでした。事件発生以来はじめての情報です。これで解決したと、一瞬思いましたが、しかし議員会館に様子を聞きに行く時に、以前富士山丸事件っていうのがあって、紅子船長さんがスパイ容疑で捕まってそしてお帰りになるまで10年ぐらいかかりましたから、すぐにはまた帰れないかと思いましたが、初めての情報なので暗闇の中に明かりを見るような感じがしました。
そしてそのことから取材等もはじまりまして、平成9年の2月の3日の産経新聞と同じ日に発売されましたAERAに詳しく報道されました。そしてこれだけではなかなか全国に伝わりませんけれども、たまたまその日の午後の衆議院の予算委員会で西村真吾代議士が橋本総理大臣に対して少女拉致事件ということで質問をしました。そのとき橋本総理大臣は調査中ということで明確なお答えはなかったわけですが、しかしこれは5月になってから北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であるということで従来の6件9人、これはアベックの方なんかを指すわけですが、これにめぐみを加えて7件10人を北朝鮮による拉致の事案として認めるということで、その年の警察白書にも記載されました。
それで皆様方はおそらく日本人拉致ということをお知りになったのは平成9年の2月のことだと思います。しかし実際にはもっともっと早くからわかっておりまして、アベックの方がいなくなりましたのは昭和53年の7月と8月。ちょうどめぐみがいなくなってから一年ぐらい後のことですが、そしてそのことが産経新聞の昭和55年の1月の7日号を中心としてかなり大きく出たわけですが、しかしその当時は北朝鮮、南の方は金大中事件なんかがあったので南の方は拉致をするかも知れないけれど北は拉致をするはずがないということで、結局は立ち消えになってしまいました。
しかし国会の場で昭和63年に先ほど出ました橋本議員が三件のアベックの拉致事件、一件の未遂事件について、それと大韓航空機を爆発した金 賢姫(キム・ヒョンヒ)に日本語とか、日本の習慣を教えた李 恩恵(リ・ウネ)について質問をしています。それに対して国家公安委員長であります梶山静六さんが北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であると国会の場で北朝鮮の名前を出しております。そしてその当時の宇野外務大臣が調査中であるが事実であれば断固たる処置をとるという答弁をしておられます。
国会の場でよその国の人を拉致したなんて言うということは単なる噂ぐらいでなくて、確信がなければ言えるはずがないわけです。ですから政府の方は当然知ってたわけです。しかしこのときは産経新聞と日経新聞が小さく、記事で出したもんですから、ほとんどの人は気づかなかったわけです。
それから我々も最初めぐみのことが明らかにになった時に、実名を出して写真を出すということは家の中でも意見が分かれて、写真や実名を出さなければ内容に信憑性が疑われます。しかし名前を出してしまうと北朝鮮がそんなことはなかったとするために殺されてしまうという恐れもあって非常に迷ったわけですけど、アベックの方の親も同様な考えで、自分たちが名乗り上げたら子どもたちが殺されてしまうということで名乗り上げなかったわけです。ですから親も騒がない、世間もそういったことを知らないから救出運動といったことは当然起きませんから、世間も騒がない。ということは政府は後になって家族会ができてからアベックの親が調べてみましたら、李 恩恵(リ・ウネ)については北朝鮮側にこんな人がいるはずだからということで問い合わせをして、北朝鮮側はそんな人はいないと。これは今でもいないと言ってるんですけど、これは向こうが突っぱねてきています。しかしアベックについては返せとかなんとか、そんな人がいるはずだとか、一言も照会をしていないわけなんです。ですから世論の力というのがなければ、自分の国の国民が拉致されているのを救出するというよりも国交正常化交渉を進めるということが優先されているわけなんです。
それは平成11年になっても当時の槙田さんっていう外務省のアジア大洋州局長が国会の場で、たった10人くらいの拉致のことで騒いで国交正常化交渉が滞っては国益に反する、というようなことを言ってひんしゅくを買ったことがあります。現在は町村外務大臣をはじめ斎木審議官、谷内さんっていう事務次官の方や、それからアジア大洋州局長の佐々江さん、皆さん非常に熱心にやっておられるのでこんなこと言えば信用されないかもしれませんけれども、ほんの少し前までは国民を救うということより、麻薬を輸出したり、偽ドル札を作ったりしているような国と国交を結ぶことを重点としていたわけなんです。ですからやっぱり世論の力がなければ今だって拉致もあるかも知れないけど、国交を先に結んでそしてそれから探せば良いんだみたいなことになって、結局うやむやになってしまう恐れがありますから、やはりこのことを皆様が関心を持っていただかなければ解決は難しいわけです。
それではじめの頃は、拉致のことが、国会で、めぐみのことが取り上げられてもまだ拉致疑惑とかって言われてまして、疑惑という言葉は警察の言葉では要するにまだ起訴できるほどの証拠がないっていうぐらいのことなんですけど、一般の人から見れば拉致そのものがあったかなかったかわからないみたいな感じを受けるので、署名活動をやっても皆さんは正直に応じてくれなかったことがありました。
しかし平成14年になりますと小泉総理がブッシュ大統領との首脳会談の席で拉致問題の解決なしに日朝国交正常化交渉の妥結はあり得ないということをおっしゃいまして、そして日本国内も拉致の救出の機運が高まってきましたし、それからブッシュ大統領が北朝鮮を悪の枢軸ということで厳しい態度で攻撃するようになりまして、それから北朝鮮自身も経済政策の失敗で配給制度が成り立たなくなったり、エネルギー不足や食糧不足が一層激しくなったので、何とか日本と国交を結んで経済支援を得たいと言うことで小泉総理の日朝首脳会談が実現しました。
そしてこのときに北朝鮮側は拉致を認めて、5人生存、8人が死亡ということを通告してきました。そして我々に対しても外務副大臣から、「お宅のお嬢さんは亡くなっておられます、そして結婚して女のお子さんがいます」というそれだけの伝達がありました。生存の噂というのはたくさんありましたし、年も他の方よりも10歳以上若いものですが当然生きていて今日はいつ帰れるのかということがわかると思って楽しみにしていたわけですが、しかしまったく思いもよらない通告に愕然といたしました。しかし翌日になって外務省に話しを聞きに行きましたら、それは何も確認したものでなくて北朝鮮が誰が死んでる誰が生きてるって言ったのををそのまま伝えたということがわかったので抗議をしたところ、その翌日からは北朝鮮の発表によると死亡とされた人は、とかというふうにちょっと曖昧な形で言うようになりました。それで、その後政府の調査団が行って調査しましたところ、死亡した8人のうち、原さんはもともと40歳代で拉致されていますから、40歳の死亡ですけど、それ以外の7人は、めぐみは10代でそれ以外のひとは20代で拉致されて全員20代で死亡しています。そして病死が2人で6人が不自然な事故死です。めぐみのケースですと、鬱病になって病院に入院して、そして回復期に医者と一緒に病院の中庭を散歩している時に、医者が用事が出来て部屋に戻った時に、自分の衣服を破って、ロープを作って首つり自殺をした。そして遺体は病院の裏の共同墓地に埋葬したけど、夫がその年の秋に持ち帰った。そして唯一の証拠というのは、患者入退院台帳というのを「入退院」の上を消して、その上に「死亡」としてありますから、患者死亡台帳となりますけど、それに、めぐみの朝鮮名が載っていたということが唯一の証拠で、カルテもない訳なんです。とても信用できるものではありません。そして、めぐみのものは夫が骨を持ち帰ったと言うんですけれど、めぐみ以外の7人の人は、お墓があったんだけど、1995年の洪水があった時に流されてしまって骨が無いとか言って、証拠が何も無いわけです。
一方、生存したっていわれる方は思ったより早くに、平成14年10月15日に羽田空港に降り立ちました。しかし、その時は2週間ぐらい滞在して、また帰って、子供と相談して日本に帰ってくるってことだった訳です。しかし、福田官房長官が、それは、帰さないで日本に留めておくという発表をした訳です。それに対して北朝鮮側は、日本政府は約束を破ったということで、子供さんをいつまでたっても帰してこない訳です。そして昨年の5月に小泉総理が訪朝したときに、地村さん、蓮池さんら家族の5人を連れて帰って、その後、曽我さんの家族もジャカルタ経由で、日本に帰ってきて、そして、子供さんも、初め皆さん日本の生活になじめなくて、帰るなんていうかもしれないなんて心配したものですけど、皆さん全員が、日本に定住することを決意されて、それで、一応完結したことになりますが、しかし、死亡といわれた人、曽我さんのお母さんのように新たに追加した人も含めて2人の人に対しては入国していないと言うことで、未だに小泉総理が訪朝したときと全く状況は変わっておりません。
そして、北朝鮮側は、これでもう全員帰ったんだから、拉致問題は終わった、あとは、死亡者問題と言っている訳なんですけれど、それは、再調査の約束を取り付けてきた訳です。しかし、期限も設けませんし、範囲も認定された人たちだけなのか、それともたくさんの、未認定者がいますけれど、それらを含むのかも決めてこなかった訳です。
そして、ちょうど経済制裁の法案ができたにもかかわらず、経済制裁はしないと早々と約束したり、日本政府の方針としては、子供さんが帰ってきても経済支援とか食糧支援はしないということを決めていたにもかかわらず、人道支援の名目で、食糧支援や医薬品の支援発表いたしました。その後、その約束に従って、日朝実務者協議が開かれた訳ですが、第1回の8月時には、北朝鮮側は、警察と市役所にあたるようなところから10人づつ、計20人ぐらいの調査委員会をつくったと言ってきただけです。
それから、2回目の9月の時は、若干の情報の訂正がありまして、それは、蓮池さんなんかが、お帰りになった時に、めぐみは93年の1月に入院して3月に死亡したっていう噂を聞いたなんて言っていたんですが、子供さんが帰って来られたんで、その時は、そう言ったけれど、本当は94年まで一緒に暮らしてた、なんてことを言ったもんですから、北朝鮮側は、前回93年に死亡といったのは、勘違いであって、その年の4月から6月までと、それから8月から10月まで、入退院していたということで、93年死亡、ということは打ち消した訳ですけれど、しかしその後どうなったかについては何も、連絡はしてきておりません。
そして第3回目は、11月の9日から14日まで開いた訳ですが、その時にめぐみのものとする遺骨を持ち帰った訳です。その他にもめぐみのものについては、写真とか、それから、学生証とか、自筆のメモとか、いろいろなものを持ち帰った訳ですが、他の人に関しては、ほとんど新たな情報というのは入りませんでした。
しかし、めぐみの骨といわれるものをDNA鑑定した結果、12月の8日になって、それが別人のものと判明しました。それで、我々家族としては、国家間の交渉でこんな偽物を持ち出すということは、親だけでなくて、日本国全体を馬鹿にしたものだから、経済制裁をお願いしたいということの声明を出しました。そして超党派の国会議員が作っている拉致議連の総会も翌9日に行われまして、その席でも、経済制裁の決議と、それだけでなくて、食糧支援の凍結とか、国交正常化交渉もするべきでない、とか、金正日政権を倒さなければ、解決しない、なんてことが決議されておりますし、10日の自民党拉致対策本部とか、その日の衆議院の拉致特別委員会でも、制裁決議をしたわけですが、しかし、小泉総理は、対話の窓口が途絶えるということで、制裁ということについては、慎重な姿勢でした。
そして、今日の皆様方にお配りしておるチラシにも書いてありますけど、昨年の12月24日に、全体的な、めぐみ以外にものについての精査も終わって、家族に説明があったのですが、その時に福田官房長官の談話というのが印刷されてますが、北朝鮮側が、迅速かつ誠意ある対応を示さない場合、日本政府として、厳しい対応をとらざるを得ない、という談話を発表して、経済制裁の予告みたいなかたちの談話を出しました。そして、翌25日に北朝鮮側に、正式に抗議をしたわけです。
しかし、北朝鮮側は、外交ルートでは、なにも返事してこないで、朝鮮朝中央通信等が、「日本が経済制裁をすれば、宣戦布告とみなす」とか、「1200度で焼いた骨から、DNA鑑定なんて、出来るわけがないから日本の鑑定はねつ造だ!そんな人は処罰しろ!」なんてことを言っておりました。しかし、1ヶ月経ちました1月26日になって、それと全く同じことを回答してきました。そして、めぐみの骨の返還ということを求めてきております。我々がちょっと心配しましたのは、その時にめぐみの骨が高温で焼いたから、鑑定不能と出た場合に、その時北朝鮮側は、これは夫が妻の墓から遺体を持ち帰って焼いて、そしてこれを自分が保管していたものだから、間違いない、だからこれ以上のものは出せないと言って、そして、また写真の意図もよくわかりませんけど、こんな不安そうな顔をしている女の子を、我が国がこんな立派な大人に育てて、そして、ベンツも乗り回せるような生活をしていたんだけれど、身体が弱くて、入院して、それで自殺したんだ、これはもう、これ以上のものは出せないから、これでもう納得してくれって言われた場合、我々個人はもちろん、日本政府としても反論する根拠がない訳なんです。ですから、もしそこで、鑑定が出来なかったら、もうめぐみは死亡ということが確定されて、終わってしまったかも知れない訳です。ですから、我々としては、これは日本の技術の高さに非常に感謝しているところです。
それで、官房長官の談話の発表から4ヶ月たった4月24日に、日比谷公会堂で、国民大集会を開きました。2000人しか入れないところに6000人の方がお見えになって、そして、たまたま天気も良かったものですから外で、集会を、同じようなこと事を2回やりまして、敷田議員もその時はお見えになって下さった訳なんですけれど、その次の5月には、田中実さんという方の、救出をしようという集会を、開いて、6月には経済制裁を!という官邸周辺での座り込み、ということを決めて、それから7月は、函館で、小住さんという北海道からいなくなった人の救出集会、そして8月24日はちょうど、、万景峰号が入りますので、その日に合わせて、抗議活動をしたあと集会を開き、節目節目で制裁を呼びかけていくことにしております。
経済制裁をするというと、反対の意見というのが出るわけですが、それは大きくいいますと、3つぐらいあって、1つは、そんなことをしたら北朝鮮がミサイルでも撃ってきたら被害が出るから、経済制裁はしない方がいいという意見、それから、向こうにいる被害者が本当は生きているんだけれど、それを殺して、やっぱり死んでいました、といって骨を持ってくるかもしれない、という恐れがあるわけですけれど、ただ北朝鮮側が、ミサイルを撃つぞと脅せば、日本が何度も引き下がれば、これはもうどんどん拉致問題だけでなく、日本が後退する一方になりますから、それはやはり、実際撃ってくれば、日米安保条約の発動で、北朝鮮側が、アメリカの攻撃を受けて、壊滅しますから、そう簡単には出来ないと思います。それは今までも、大韓航空機事件とか、ミサイルが日本の上空を飛び越えた時も経済制裁していますけど、別にそんなことは何も起こってない訳なんです。
それから2番目には、北朝鮮の貧しい人たちがもっと困るのではないか、ということですけど、それは万景峰号を止めたとしても、それは金正日にいっている、メロンとか、マグロのトロがいかなくなるだけで、もともと貧しい人に対しては、日本からそんな物は届いてない訳ですから、それはあまり変わりないと言うこと。
それから最後には、あまり効果がないという人もいらっしゃいますけれども、それは北朝鮮の経済というのは非常に小さくて、日本の県一つぐらいの、それも小さな、島根県とか、ああいったところの、一つの県よりまだ小さい規模なものですから、ちょっと送金でも止めれば、それはすごく大きな影響がありますから、効果が無いっていうことはあり得ないと思います。それと、やはり日本側が怒こっているという姿勢を示すという必要があるわけです。ですから我々としましては、やはり、そういった自分たちの子供にも被害が及ぶかも知れないというリスクは、ゼロではありませんけど、しかしここで何もしなければ、このままずうーっとうやむやになってしまう、という恐れがあるので経済制裁をという訴えを行っているわけでございます。これの解決の為には、先ほども言いましたように、日本国民の力というか最大の力となりますので、是非、引き続き拉致問題に関心を持って、見守って下さるようお願いいたします。
どうもありがとうございました。 |